今回は大学受験の参考書のように記述してみました。

(1)戸籍制度のはじまり ~班田収授法との関係~

 戸籍制度は、班田収授法(および租庸調制)を実施するにあたって、民衆を把握し課税・労役の根拠とするために整備されたものである。人民には口分田が支給され、その管理のために6年ごとに戸籍が作成され、氏名・性別・年齢・家族構成・身分などが記録された。

 現存する最古の戸籍は、天智天皇の治世である670年に作成された「庚午年籍(こうごねんじゃく)」である。これは氏姓制度に基づくもので、豪族支配の色彩が濃かったとされる。続いて690年、持統天皇の時代には、より律令制に基づいた「庚寅年籍(こういんねんじゃく)」が作成された。これは、翌年(691年)の班田実施に先立ち、班田収授制の基礎資料となる戸籍であった。

 その後、大宝律令(701年)や養老律令(757年)において戸籍制度は律令国家の根幹として制度化されたが、平安時代中期以降、戦乱や荘園の発達などにより律令制が崩壊。10世紀ごろには戸籍制度は形骸化し、実際の徴税や人身把握は、荘園領主や国司が作成する名帳帳簿に代わっていった。

(2)近代戸籍制度の確立(明治時代)

 1872年(明治5年)には、日本で初めての近代的な全国戸籍である「壬申戸籍」が作成された。これは、前年の解放令(1871年)によって形式的に廃止されたはずの士族・平民・賤民(旧えた・ひにん)などの旧身分を明記しており、差別的要素を含んでいたことが問題となった。

 このため、明治政府は1910年(明治43年)に壬申戸籍の閲覧を禁止する通達を出し、1968年(昭和43年)には法務省により、事実上の封印が通達された。現在も法務局などで厳重に保管されているが、職員を含め閲覧は厳しく制限されており、一般市民が見ることは事実上不可能である。

 なお、近年、フリマサイトに壬申戸籍が出品され、個人情報保護や差別の観点から問題視された例もあったが、正規の入手経路は存在せず、こうした行為は法的・倫理的にも問題がある。

 こうした背景から、家系図作成などの目的でさかのぼることのできる戸籍は、明治19年式戸籍(1886年)までが一般的である。

家系図作成・入管業務|行政書士たかはし法務事務所